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友人が会社を辞めた。
大河ドラマの龍馬伝の「龍馬脱藩」のオンエアに合わせてだっただけに、脱藩したと本人はうそぶいている。

自分にとっての脱藩は;
周りと一緒に就職せずに博士に進んだ事。
ポスドク2年目で見切りを付けて恩師に頼み込んで留学した事。
頼み込んで留学したにもかかわらず、勝手にビジネスの世界に飛び込んだ事(先生本当にゴメンナサイ)

脱藩に比べて重みは無いかもしれないけれども、様々な環境に自分をおく事で、人間は成長すると思う。大企業でも中小でも、変化に富んだ環境に恵まれた人、あるいは変化を呼び込んだ人は成長する。逆に転職しても環境が変わっても、Mindが変わらない人は不幸かもしれない。

義理の母はキムチを漬けるとき、白菜の微妙な味の違いにあわせてつけ込む材料を加減しているらしい、時にはリンゴをすって入れている。単純作業の中にも創意工夫は潜んでいる。逆に一件ダイナミックに見える仕事でも、工夫無く人間の感情だけで動いている事が多い。
# by KtomoSFD | 2010-04-19 23:05 | Who am I?
最近目にした2009年刊の本、
株式会社リバネス » 「博士号」の使い方

BMB2008での小職の講演タイトル
1F23 「目標達成のための“PhD”の使い方 ―ポスドク,留学経験はどう活かされるのか?」

少しでもインスピレーションを与えているんだったら、うれしいですね(^^)
昨日触れたCHDI、今年の1月にEvotecとの契約を延長し、3年間で最大$37.5Mの資金提供をするとの事。彼らのWebsiteによるとAMRIという別の開発企業ともアライアンスを行っているようだ。これだけの資金力がどこから来るのか? 資産家からの寄付でこれほど潤うのだろうか?
最近、Table for Twoの小暮氏や、マザーハウスの山口氏のような社会起業家のことがよく話題に上る。その新しい感じのする肩書きが一人歩きしている感じが非常にしていたが、グロービスの堀氏が書いている文章
http://www.globis.jp/1234
を読んで、少し納得した。結局は企業を成功させる目的としては社会への利益還元の仕組みをどう作るか、という目的のために両者ともに動いているはずなので、社会起業家たるものをわざわざ定義してその枠にはめる、という作業は必要ない、というわけだ。

そこで思い出したのが、2008年に産学連携を手伝っている時に研究した一つのシステム、NPO法人の製薬企業体である。
きっかけは
Institute for One World Health
サンフランシスコにHQをおき、第三世界における治療法のない、あるいは極めて高価な薬剤しか存在せず、経済的な理由から多くの人々が命を落としている疾患に対して、治療薬の開発を行っている。彼らの仕組みの面白い所は、大学(UCバークレー)の技術を活かして安価な抗マラリア薬を開発する部分をスタートアップのバイオ企業に委託、製造し、資金面ではゲイツ財団から$42Mもの出資を引き出して事業としても仕組みを確立している所にある。同様のシステムが動いているか?ということを考えて調べてみると、CHDIというハンチントン病という難病の患者団体がBiotechに出資して化合物のスクリーニングから開発に至るバリューチェーンを製薬メーカーのごとく自前の資金を持ってコントロールしていたり、DNDiという国際組織も抗マラリア薬開発のために、研究費をだして実際の創薬を進めている。

「創薬」という作業はBiotechのベンチャー企業としての商業的な成果にばかり目がとられがちであるが、実際には「健康への奉仕」という部分での「人間(消費者)の根源の欲求」、そしてそこで働く人達の「働き甲斐」を満たしてくれる、という意味で、決してメジャーではないけれども何らかの仕組みが既に動いている事実は、日本ではあまり知られていないように感じる。このシステムでは採算性は「一人の患者に一日1ドル」という治療単価に見合う形での治療法を確立する、という方針から出発する。これは、将来的に援助団体が寄付でまかなえる価格設定であり、技術をライセンスする大学は、発展途上国向けにはロイヤルティーを要求しない契約となっている。

この仕組み、せっかくなので日本の大学発の技術も同様の仕組みに載せて、もっと貢献できるのでは無いかと思います。 まだまだ書き足りないので、続きは後日。。。
久々にとあるBiotech企業の社長をされているMさんのBlogを見たのですが、
http://tng.blog37.fc2.com/blog-entry-591.html
「うーむ」とうなってしまうコメントでした。
Mさんにはぜひ成功したExecutiveになって、そのコミュニティーを一緒に作っていただきたいですね。

実は先週、BioHelixという団体の存在をはじめて知りました。
http://www.bayhelix.org/
中国系アメリカ人の方々のBio業界Executiveの集まりです。
確かに中国人はバイオ業界にExecutiveの数が多く、その人たちの「クラブ」の中でビジネスが成立する事はすばらしいことだと思います。

「ウェブ進化論」以来オピニオンリーダーとしてさらに有名になった梅田望夫さんは、2002年ごろに「日本人1万人移住計画」ということを提唱されていました。日本人にもっとSVを移住して活躍して欲しいということです。結果として絶対に日本社会にとってもBenefitとなるはずだ、という発想に渡米直後の私は正直言って理解できなかったのですが、その後、SVでの中国人、インド人、韓国人などの方々のプレゼンスを見せ付けられ、徐々に賛成に転じていきました。将来的にそういうコミュニティーの成立もありうると思いますが、JBCは今ではまずSVのバイオ業界の日本人の人口を増やしたい、という思いがあります。

設立当初はBayHelixもExecutiveばかりではなかったはずです。ぜひ、Executiveのコミュニティーに「入れてもらう」のではなく、「作り上げて」行きたいと思います。


ところで、最近こういうWebsiteを見つけました。
http://bioventure.info-i.jp/
これはこれで面白いですが、誰が作ったのか興味深々です。
iPSでにぎわっている昨今の日本のバイオ業界。「基礎技術こそが日本の技術立国の生命線」という名目の元、多額の研究費がつきこまれている。では、その研究費はどこから出ているのか考えている人は研究者以外には少ないと思う。この不況の中財源がそれほどあるはずがなく、結局は他の研究分野への助成金を削っているだけらしい。つまり、第二のiPSとなりうる技術の芽は減っているということではないか?との疑問も出る。もう1つ意外な噂を聞いた。大学の先生方の研究費は削れない、となると、どこから削るか?しわ寄せはより弱者、若手の研究者、つまり、ポスドクに来ているらしい。学術振興会のポスドクは年間150万円の研究費を受けることが出来る。これが、なんと削られているとの話。裏はとっていないので保障は出来ないが、事実であれば、ノーベル賞受賞者を増やすなんてことどころか、研究者の若い芽を摘んでいるとしか思えない。

ポスドクといえば、先日ストラスブールに行った際にHFSPの事務局を訪れる機会があった。自分も応募した人間として例を述べたのだが、日本からの応募者数が年々減っていて、費用の大部分を負担している日本としては大問題になっているらしい。国内で優秀なポスドクを目の前のプロジェクトのために囲っている結果、こんな結果になっているのではないだろうか?

逆に自分の関っている基礎技術からの創薬への道も、システムは出来たものの、実際には理念や組織作りばかりが先行し、成功例がまだ多くはない。そもそも、シリコンバレーのベンチャーのモデルを想定していることが多いのだが、実際を知っている人が殆どいない。ちなみに、「視察」や「取材」と称してシリコンバレーを訪問するバイオ関係者は数知れず。でも、実際にはそれぞれの立場に都合の良いようなネタを持って帰るのが現状だったようにも思える。

というわけで、基礎研究のためにも応用技術にしても、先ずは数少ない成功例を作るべく、頑張っています。論より実行!
メリークリスマス!
PDL BioPharmaという会社がある。
今の会社の前身の前身であるカネボウの医薬品部門が日本で初めてとなる抗体の医薬品の候補化合物を導入した会社である。というより、自分にとっては大変お世話になったJBCのTさんがStart Upの頃から働いていた会社として印象深かった。

抗体医薬品のヒト型化の基盤技術を持つ同社は、Genentechなどとの訴訟に勝訴した後、多額のロイヤルティー収入を背景に、抗体医薬の基盤技術の自ら製薬メーカーとして開発をすることに方針転換。ここまではBiotechのサクセスモデルとしては非常に良かった話。この後、CEOの手腕が試されたわけだが、結局ここ2年ほどの間に人員を倍増して、自社ビルに引っ越してまで成長のモデルを描いたのだが、このほど経営に行き詰まりこのほどResearch部門をスピンオフさせ、手持ちの開発品も売り渡し、大型レイオフとなったらしい。

渡米直後にTさんに出会い、さらに去年はJob Applicationも考えていただけに、非常に残念。一概にデスバレーを乗り切ることだけがベンチャーの難しさではないのかも知れない。
ドキュメントの中で、1週間振りの帰宅が描かれている。
実際、これはある意味当時のサラリーマンでは当然だったのかもしれない。
当時のうちの住所は福岡県。父親の担当は南九州… 今ならあり得ない… うちの父親は帰らないではなく、帰れなかった。当時の父親の職場はとある中堅商社の医薬販売部門。
現実として、父親の帰宅は週末のみだったはず。でも、自分の記憶に(恐ろしいまでに)父親の記憶が居座っている。その前も(母親の話によると)11時仕事と始めで午前3時帰宅(自宅が出張所だったので、出社はそのまま顧客の元。)正直言って、自分の記憶の中に、これほど父親が居座っているのは… それだけ、父親が努力してうちに帰ってきたからに違いない。

父親の口からは会社に対する愚痴。母親の口からは父がボーナス全額を飲みに使った話。今の感覚からは、この二人がまだ結びついているのは理解できない。

でも、何かあるんだろう。自分を常に娘に結びつけてくれる、カミサンに感謝。
# by KtomoSFD | 2008-11-01 22:44 | Kobe Life
今、赤塚不二夫のドキュメントをやっているんですが、この人が
少女漫画→ギャグ漫画
に移ったきっかけは、「雑誌」という形態でギャグマンガを作り上げたことが、一つの転機だったことがわかる。

今の日本のBiotechもシステムの再構築が必要なんだろうなあと思っていて、実際にアイデアはあるんだけれども、そこで動いている人たちに、そんなイメージだけのことだけでは引っ張っていくことはできそうもないので… 何か良いアイデアはないでしょうか?
結局、どれだけの人間がかかわっているかである程度ややこしさは変わってくるので。
10月8日までに発表されている3賞(医学生理学、物理学、化学)のうち、自分にとって一番ピンと来た受賞者は、物理学の3氏でもGFPの下村氏でもなく… UCSDのRoger Tsienでした。GFPは確かにツールとして日常的に使っていたのですが、正直言ってその「タンパク質」としての発見者が日本人だったことは知りませんでした。今回日の目を浴びて嬉しい限り。ただ、Roger Tsienの受賞はひょっとすると早すぎたかもしれないという気もする。と言うのも、Rogerの受賞理由はFRETの発明だから。この原理は現在では生命現象の解明だけでなく、医薬品の開発にも用いられるようになってきており、材料もGFPから離れて様々な応用がなされている(一説にはGFPの特許を逃れるための応用という理由もある)。この技術から生み出された医薬品の数は今後どんどん増えると思われるだけに、今回の受賞は非常に早期に彼の業績を評価したと言える。ちなみにノーベル財団のWebsiteの彼の写真、若すぎます。今はお金持ちになっているためか、もっと恰幅の良いおっちゃん。

そしてそして、日本人として残念なのは、同様にGFPや同様の機能のあるタンパク質を発見、改変して様々な機能を持つツールを作り上げていて、国際的な評価も高い、理研の宮脇先生が外れていること。これは一つには理研発の技術のTranslationがうまくいっていないために、技術が広まっていないことも関係しているのではないか?とも勘ぐりたくなりました。